令和の怪物!佐々木朗希選手の生い立ちは?家族の教育方針が素晴らしい?

佐々木朗希選手 プロフィール

氏名:佐々木 朗希

生年月日:2001年11月3日(21歳)

年棒:8000万円(2023年)

選手情報

・右投・右打
・ポジションは投手
・プロ入りは2019年(ドラフト1位)
・岩手県立大船渡高等学校卒業
・現在 千葉ロッテマリーンズ

記録

日本プロ野球記録と世界記録となる
 13者連続奪三振の記録保持者
・日本プロ野球史上最年少の
 完全試合達成者

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令和の怪物!佐々木選手の生い立ちは?

3人兄弟の次男として出生。

幼少期はいたずら好きで、外を

ずっと駆け回る活発な少年であった。

2011年3月11日

東北地方を襲った東日本大震災を経験し

この震災により、父親、祖父母を亡くしている。

津波から逃れようと、高台に避難し

避難所で兄弟3人と一夜を過ごしたそうです。

翌日、母親と再会することが

できましたが、父親と祖父母が津波に

よって亡くなったことを知ります。

この時、まだ9歳の佐々木選手。

9歳で家族を失う大きさは

とても辛く、悲しみは計り知れないですね。

小学3年生より野球をしていた佐々木選手。

この東日本大震災での辛さ

和らげてくれたのが

野球だったようです。

この時の心情を語っている記事が

ありました。

やり切れないむなしさ。

寂しさと悲しみを一人で

抱え込むことも多かった。

「ネガティブな性格なので、

そういう時もあった」と打ち明ける。

それでも、全てを忘れさせてくれる

ものがあった。「野球をしている

ときが一番楽しかった。夢中に

なれる時間というものがあった

おかげで、大変だったとき、

つらいときも頑張れた。野球を

やっていて良かったなと思う」

スポニチSponichiAnnex野球

と、語られています。

東日本大震災を経験し、大切な家族を

失い、様々な経験を乗り越えて

今の佐々木選手が存在していると

考えられますね。

東日本大震災が起こったあの日、

私は日勤で患者さんたちと

ちょうどテレビをみていました。

どのチャンネルをまわしても

津波の状況を知らせる中継ばかり。

津波が押し寄せ、高台に逃げている人

自宅の2階にあがり、窓から

助けを呼んでいる人、

津波にのみ込まれ、

人が流されてしまう映像も

実際に中継として映っていました。

とても現実とは思えない

リアルな映像が流れていたのを

鮮明に覚えています。

あの映像からでも伝わる津波の怖さ

実際に、被災され経験された方は

昨日のように思い出すことだと

思います。

これを経験し、さらにテレビで

被災した時の心情を語ることができる

佐々木選手は、とても

前向きに捉えることができていると

感じます。それも、野球をやっていた

お陰であり、佐々木選手の強さを感じます。

9歳といえば、まだまだ幼く

親に甘えたい気持ちや

わがままを言いたい年齢ですよね。

しかし、このような

経験をすることで、

一般的な9歳よりも、甘えられない、

わがままを言えないなど

責任感も出やすく

少し背伸びして

成長してしまうことも考えられます。

しかし、佐々木選手は9歳らしい

少年として育っています。

そこには、家族の役割があったようです。

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令和の怪物 佐々木選手を育てた家族の教育方針が素晴らしい??

父親を失い、代わりに佐々木選手の

お兄さんが父親を見習い

あえて厳しく、面倒をみていたようです。

生活面に限らずプレー面でも、

「お前レベルの選手はたくさんいる」と

褒めもせず、あえて突き放し続けた。

野球面でも生活面でも、朗希が兄から

褒められたことを見たことがないですね。

見ててかわいそうになるぐらい

朗希は、兄から言われてました。

日刊スポーツ

父親の役目を、お兄さんが引き継ぎ

母親の役目は母親のまま

愛情深く育てられたのでしょう。

母親が、亡くなられた父親の分まで

両方の役割をしていれば

また変わっていたかもしれませんね。

お兄さんの役割があったからこそ

現在の佐々木選手があるように

思います。

また、母親も当時、被災したこともあり

大変辛かったように思いますが、

辛い姿をお子さんたちに

見せてこなっかのではないかと

考えられます。佐々木選手のエピソードは

温かい話ばかりです。

母親の作る手作りハンバーグが

とても美味しいや、母親が野球の

試合の応援に行っていた。

母の日には、ハンカチを

プレゼントしたなど、

本当に温かいエピソードばかり。

それも、これも母親が

お子さんとしっかり向き合って

過ごしてきたのが伝わってきます。

そして、苦労していたことは、

たくさんあるんだと思いますが、

それを見せずに過ごされてきたんだと

感じます。

子供を育てていて思いますが、

当たり前に育てることが

一番難しいなぁと思います。

子供と向き合うって、思ってる以上に

エネルギーを使いますし、

子供なりに主張もあるので

こっちが思った通りに動くわけでもなく

そこに子育ての楽しさや、やりがい

難しさがあるんだと思います。

ましてや、被災し大切な家族を

失っている中で、今まで通りの

生活をしていくというのは

想像しても、とても難しいように

思います。ふとした時に、

ここで父親がいればな~と思うときも

あるでしょうし、マンパワー的にも

必要になってくるときが

あると思います。

なので、お兄さんが父親の役割を

果たしてくれていたからこそ

当たり前の日常を

佐々木選手たちに与えることが

できたんじゃないかと思いました。

まとめ

東日本大震災を経験し、大切な家族を失った

佐々木選手ですが、お兄さんが父親の役割を

果たすなど、家族内での役割分担ができていたため

母親らしく、お子さんと向き合うことが

できたと考えます。

日本中がWBCの活躍に湧いていますが

さらなる佐々木選手の

活躍に期待がかかりますね!!

楽しみです!!

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